中間管理職だった私が鬱病にかかるまで

いろいろと思い出すことがあった。

世の中にはいろんな人間がいることを思い知らされたこと。
人それぞれにいいところ、悪いところがある。

私の当時の部下A子も、いいところはたくさんあった。
けれど私と合わなかったのだと思う。

合わなくても合わせれば、歩み寄れば、我慢すればどうにかなる、
とそれまでずっと思っていたがそうも言い切れなかった。
私も人間がまだできていないのだ。

これを読んだ方はもしかしたら、よくあることについて「大げさ」ととらえるかもしれないが、
実際に経験したことがなければそれはツイているだけかもしれない。

ちょっとダメな子は10人いれば1人2人は必ずいるものだが、
そんなものではなかった、と私は思っている。


おおざっぱで細かいことを気にしない明るい性格。
見た目も豪快で声も大きい。
海外有名大学を卒業していて、それを誇りに思っている
話せば楽しい女の子だ。

配置転換で私の下に来る前は、よくA子の愚痴もきいていた。
(やはり前の課でも怒られてばかりだったようだった)

ザクザクと進められるような仕事であればもっと楽しく仕事をさせてあげられただろうと思う。



本人の希望の部署の配属でもあり、配属が悪いと言っても始まらないので、
前にほかの女性にやってもらっていた業務を少しずつやってもらうことにしたのだが
まずメモがとれない。

マニュアルを作成してあげたり、メモを書いてあげてみたが、読まない、期限が全く守れない。
スケジュール表もA子と一緒に作成して(大半私がやったのだが)、
毎日進捗を確認するのだが、ぎりぎりまで手をつけない上、結局やらずに帰る。


根本的に間違っているところも丁寧に教えていてもうるさがる。
「もっとパパーっとやりましょうよ!」という。
業務を勝手に端折る。
理由があってやってる業務なので端折らないで、と理由を説明しても聞いていない。


負けず嫌いなので、わからなくても「大丈夫です」と言ってきかない。
わからなくなって固まっていることが多いので、心配で声をかけるのだが絶対に引かない。

多少の知識も必要な仕事なので、少々勉強をしてもらいたくても
「私は仕事の中で覚えたいので、家では絶対にやりません」と言われる。


結局わけのわからないことにしてしまってから、
「なんかこれって元がおかしくないですか?(私は悪くない)」と言われて何度も閉口した。
 
 (もう、それでいいです・・・私がやってもいいでしょうか?)



プロジェクトで打ち合わせに行こうとすると、ついて行きたいと駄々をこねる。
「なんかおもしろそう!私もそういうかっこよさそうな仕事がしたい!」

(・・・頼むから、その業務を進めておいていただけないと、
あなたが帰ってから私がやることになるんですけど・・・)

・・・それにプレゼンもこの業務や業界の知識が必要なので・・・まだできないでしょ・・・

あまりにしつこくて不機嫌になってしまったこともあった。




何かを作り上げるクリエイティブな仕事なら向いているのかもしれないが、
私がいる部門はほとんどの業務がルーチンワークである。

しかし彼女はルーチンワークが大嫌い。

今までもっと単純なチェックをする課にいたのだが、
「おもしろい、違うことがしたい!」と飛び出してきた。

確かに私がやっていた業務もルーチンではあるが、書類の作成が多くチェックだけという仕事ではない。
イレギュラーな処理や、会社に大きな影響を与える内容であることも多い。

それだけに、なおさら「前回はどうやったか、規則は変わっていないか」を確認しなければ進められないのだが
確認が大嫌いな彼女には全く向いていないのだ。



正直なところ、私もあまりチェックや確認は得意なほうではない。
それだけになおさら、多方面から確認しないと誤りが出ることを経験的に知っている。
それを伝えようと努力したのだが、我が強いため聞いてもらえない。

何度も間違えているうちに自然とそのことにも気づくだろうと思っていたが、一向に改善しない。
むしろ、間違いを指摘するとふくれてどこかへ行ってしまう。


何度同じ書類をチェックしなければならないのだろうと思いながら
3ヶ月、まず我慢してみた。
滅多に合っていない書類を見てイライラしながら、ため息をついていた。

これを差し戻すと、またA子はふくれるんだろうな・・・と思いながら。




A子の前に半年ほど一緒に仕事をしていた新卒の女の子、B子は、
チェックや確認作業の得意な子で、うんと年下でもそういう面を尊敬していた。

かわいらしい見た目や女の子らしい話し方にそぐわず、
集中力があり、メモをとるのがとても上手で
ちょっと暇ができると、メモの隙間に新しく注意点などを書き込んでいる。

前回やったことのメモがすぐに取り出せるように工夫されていて、
メモを見ながら作業しても「あれ、どっちだったかな?」とわからなくなってしまったことや
ちょっとした細かいことでもすぐに質問してくれたので安心していられた。

またその細かいことはメモに書き足されていき、一通り聞くことがなくなると
メモを清書して完璧なマニュアルに仕上がっていた。

こう書くととても普通で簡単そうなことなのだが、
実際にマネをさせてもらったら、なかなかB子のようにはいかなかった。

ようやく担当の仕事もほとんど任せられるようになったところで、
配置転換になってしまい(ひどい会社だ・・・)、
そんな私の目から見ればとてもできるB子もまた
新しい上司と合わずによく私のところにきて泣いていた。

仕事ができない、いらない人よばわりされていて、驚いた。
その上司にも確認したが、やはり本当にそう思っていたようだった。

3ヶ月経過しても状況が改善せず、
B子が鬱のような状態になっているのを見かねて
配置転換を部門長や人事に何度も訴えた。

私も新しい部下と合わずに、苦しんでいたのでなおさらである。

しかしそんな訴えもとおらず、私も身体も心もぐったり疲れて仕事をしていて
ほかの部下たちに心配されてしまうことが多くなった。

けれど、その部下たちも多くの業務を抱えており、疲弊しきっているので
無理に手伝わせるわけにもいかない。
手伝わせればA子のプライドも傷つく。

自分の部下に愚痴を言うわけにもいかず、一人で抱え込んでいた。
8時頃に出勤して、気づけば毎日深夜2時3時になっている。

食事もゆっくりとれず、朝コンビニでまとめて買ってきたパンやおにぎりを
PCを見つめながらつまんでいるような状態が続いた。

仕事から離れた瞬間からずっと、
「どうやってA子に仕事をやらせたらいいか、興味をもってもらえるか」を考えていて
電車でもベッドでもトイレですらそればかりだった。

仕事を教えるのは大概、自分がやる場合の3倍の時間とパワーが必要なのは
経験でわかっているが、3倍どころではない。

ある日、もう仕事を教えるのをあきらめて、期限のあまり関係ない、
簡単なチェックだけしてもらって定時で帰すことにした。

もちろんA子の仕事は私が自分でやることになる。
A子は定時で帰れて機嫌も良い。
「うん、もうこれでいいだろう」と思っていた。

2ヶ月ほどたつと、上司に呼ばれた。
「A子、定時で帰ってるみたいだし、仕事させてないんじゃない?」

たっぷり絞られて、初めてA子に恨みを感じた。
どんなに忙しくてもランチからなかなか帰ってこないことや、
始業時間通りにこないことまで気になり始めた。

それまで、どんなハードワークでもどうにか元気でやってこられたのだが
精神的な疲労と肉体的な疲労の蓄積、長く続いた不眠でついに、
激しい動悸や急な吐き気、酷い頭痛がするようになった。

それでも、病院に行く暇もない。休めない。
症状が重くなってだいぶ経ってから、
ようやく社内の産業医にかかったところ、心療内科を紹介された。
そこで初めて、自分がそういう病気にかかっていたことがわかった。

月に400時間ほど働いていて、それに加えた精神的な疲労
鬱病にかかるのに十分過ぎるほどだったのだ。

毎月のように、休職者の出ている部署だけれど「かわいそう」くらいにしか思っていなかった。
まさか自分がなるなんて!

休むなんてと猛反発したが、人事に諭されて休職することになった。
誰が業務を引き継ぐのか、どうしたらいいのかと思っていたところ
以前B子が担当していた業務はようやくB子に戻されることになった。
それで安心できた。
私がやっていた業務は信頼できる同僚が自ら買って出て引き継いでくれた。
とても申し訳ない気持ちでいっぱいだったが、とにかく休むことにした。


休んでいても気持ちが休まらない日が続いて、仕事がしたくてたまらなかった。
ワーカホリックとはこういうことを言うのだろう。
何をしていいのかわからない。
のんびりしろ、と、医者も主人も言うが、のんびりした経験がずっとなかったので
それもなかなか難しいものだった。

結局半年以上かかってようやく、別の部門で責任の軽い業務担当として復職させてもらったが、
この会社にとどまりたいとも思えずに転職をした。



中小とはいえ経営陣からも信頼され、部下や同僚にもとても恵まれてよい転職ができた。

そしてもう部下達に業務は任せても大丈夫と思っていたところで他社から声がかかり、再度職場を変えた。


状況も過酷でなく、鬱の再発などは全くないが、それなりにいろいろある。
けれど、「あのとき」を思えば、どんなことでも軽く思えてしまう。

鬱になったおかげで、なおさら「いつ死んでもいいくらいに」業務のシェアを考えるようにはなったかもしれない。